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行事報告:奈良教区春の集い レッツ タッチ ブッダ

テーマ:
大阪城散策~蓮如上人と大坂本願寺を訪ねて~
日 時:
2013(平成25)年6月15日(土) 12:00~19:30
会 場:
大阪城 他
参加者数:
20名(寺族:19名・門信徒:1名)
主 催:
奈良教区仏教青年連盟

 集い当日、生憎の雨でした。雨天の場合の日程も準備しておりましたが参加者の「大阪城を散策したい!」という声のもと開催することができました。大阪城の主に「二の丸」を散策し、蓮如上人自筆の「六字名号」の石碑や「袈裟懸けの松」の跡、「本願寺推定地」の石碑を見て回りました。
 また、六字名号の石碑の前で「重誓偈」のお勤めをいたしました。
 参加者からは
「ここに昔、本願寺があったということを初めて知った。」
「六字名号の前でお勤めさせていただけたことが大変ありがたかった。」
「蓮如上人が建立した大坂本願寺。大坂という地名が史料上に現れる初例とされており、現在の大坂の町並みの原形となったと考えられているなど、いかにみ教え中心の生活が送られていたのかと考えると感慨深いものがある。」などの感想が寄せられました。

 ここ数年、奈良教区仏教青年連盟は新規会員(高校生・大学生)が参加しやすい行事を考え、企画しております。

袈裟懸けの松とは??

 蓮如上人自筆の六字名号の石碑の後ろに、蓮如上人がこの地を見初めて大坂御坊を建てた際、袈裟を懸けたという「袈裟懸けの松」の跡があります。現在は枯れてしまい巨大な根っこのみですが、東・西本願寺にとっては、かつての本願寺の跡を示す遺跡として聖地のように信仰されています。
 しかし、江戸時代の大阪城内の絵図にも「袈裟懸けの松」が書かれていますが、それは現在地ではなく本丸の東側となっています。いつ、どのように現在の場所に移ったのかは残念ながらわかりません。

本願寺推定地と蓮如上人伝説

 なぜ大坂本願寺は石山本願寺と呼ばれているのでしょうか。
 蓮如上人は父である本願寺七世存如上人の正室の子どもではありませんでした。蓮如上人の母はこのままでは上人の将来のためにならないと人知れず本願寺を去る決意をします。我が子に鹿の子の小袖を着せ、その姿を絵師に書かせその絵を持って出奔しました。上人は生涯母を探し続けますが、ついに出会うことはできませんでした。
 しかし、この鹿の子の御影は現在に伝来しています。この御影は滋賀県大津市の石山寺の秘仏である本尊を納めた厨子で発見されたと伝えられています。このことから、上人の母は石山寺の御本尊・如意輪観音の生まれ変わりでありその子どもが建てたお寺から石山御坊と呼ばれるようになったという伝説が残っています。

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浄土真宗本願寺派寺院活動支援部(組織教化担当) 仏教青年連盟事務局 浄土真宗本願寺派寺院活動支援部(組織教化担当) 仏教青年連盟事務局
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